プロフィール


 

こんにちは。アスドリファクトリー代表・管理栄養士の佐藤樹里です。(@jurijapan)

本プロフィールでは、今までの私の人生をこの記事に詰め込みました。

ぜひご覧いただければと思います。

 

簡単な経歴

フィットネスクラブにて水泳インストラクター兼管理栄養士として勤務。

その後フィリピン留学を経てカナダ・バンクーバーへワーホリにて、約1年渡航。

現地のブランチレストランでカナダ人のシェフと共にシェフアシスタントとして働く。

日本を飛び出したことで、何百回と自分の常識が常識でない瞬間に出逢い、

自分の価値観や視野が非常に狭かったことを知る。

帰国後はアスリート向けの食堂と老人ホーム厨房にてWワークを経て転職。

夢は世界に羽ばたくスポーツ栄養士。

趣味:チャーハン巡り

スポーツ

  • 3歳から12歳まで水泳(選手コース)で、ほぼ毎日練習に通う
  • 中学校・高校・大学(サークル)ではソフトボール部。高校ではキャプテンを担う。3番ショート。
  • 大学2年次、キックボクシングジムに1年間通う
  • 大学4年次、ジョギングインストラクターの資格を取得
  • 就職先のフィットネスクラブで、水泳のインストラクターとして勤める。子供から高齢者の方までレッスンを担当。
  • ヨガインストラクターの研修受講済
  • 現在月2程度でトライアスロンの選手向け水泳レッスンのインストラクターを担当
  • ランニングも個人的に行う(今年はフルマラソン出場が目標)

実績

講座実績:船橋市高齢者向け栄養講座・リトルシニア野球チーム・JO出場水泳選手・トライアスロン選手・市民ランナー

執筆実績:Webマガジン ぐるなびみんなのごはん、幹事の味方、Let’s ENJOY TOKYO、RIZAP運営マガジンHowZAP、たまな商店、TABILABO

 

ここからはじまります!!!!!!

 

完璧主義で正義感が強い幼稚園・小学校時代

東京都江戸川区に生まれる。気仙沼出身の父と銚子出身の母と兄の4人家族。

当時から左手でスプーンなどを持つようになり、母が右利きになおそうとするが、

持ち前の頑固さで決して譲りませんでした。おかげさまで今も左利きです。

 

当時は正義感が強くて、赤信号を渡るおじさん達が許せずに、将来の夢は警察官だったほどです。

また潔癖性で他人が飲んだコップなどで回し飲みなどができなかったりもしました。

 

完璧主義でもあったのでランドセルの中身は時間割順に教科書を入れて、

ノートの線は定規でピッとひいたりしないと気が済まなかったほどです。

 

くそまじめでいい子だったため、先生の言うことは絶対。

友達は先生のことをあだ名で呼ぶなか、中々自分はあだ名で呼べずにもやもやした

記憶があります。

オール5以外許せなかった中学校時代

中学校ではさらに完璧主義者になります。

成績表ではオール5以外の通知表は悔しくて

 

あまり目立ちたくはないんだけど1位になりたい願望がすごくあって

ひそかにプライドが高かったです。そのためにめちゃくちゃ計画して勉強したりしてました。

 

親からこれ以上勉強するなと言われるくらい。

 

とにかく自分というレッテルを自分でつくっていました

 

 

やはりこの頃から自由に生きていてみんなからの人気者だったお兄ちゃんにはすごく憧れていて

自分には持っていないものを持っている人に惹かれていました。

 

 

自分がちっぽけに感じた高校時代

 

地域では一番の進学校である都立両国高校に進学しました。

いままで自分が常に上位にいてそれが当たり前だと思っていたのですが、

ここでは努力しても超せない同級生に沢山出逢い、

自分の中の”完璧”が崩れていきます

 

ここでは自分の常識は違うんだと。自分の今までの小さい価値観は違うんだと。

自分とは違う”イブツ”と触れて楽しさやワクワクを感じました。

 

高校では、自分を変えようとソフトボール部のキャプテンを務め、

いままでの誰かに何か言われてやる行動に少しの変化をつけました。

 

この頃もスポーツが大好きで、スポーツで何かをみんなで成し遂げることへの重要性を感じてました。

大学はスポーツに関わるようなところに行こうと体育大学なども見ていたのですが、

これからは何か資格を持つ時代だと考え、食べることが大好きだったことから、

”スポーツ栄養士”なるものに興味をもち、国家資格である管理栄養士になれそうな大学を選び受験しました。

 

中途半端な大学時代

第一希望の大学に落ちてしまった受験。いままで主に完璧主義でまじめな人生を歩んできていたので、

ここで受験に落ちるなんて思ってもおらずで初の大きな挫折を経験しました。

自分にビンタをするくらいにヒステリックにもなっていました。

 

両親には浪人してもいいよと言ってもらったのですが、諦めてしまい、滑り止めで受けていた大学に入学。

 

入学して周りの管理栄養士になるという明確な目標や目的を聞き、

「わたしはこんな軽い想いで管理栄養士なろうと思ったのに・・・」

と、勝手にコンプレックスを抱いてました。

 

大学では目立ちたい願望が高まったり、遊びたい願望が高まり、

今思うといままでの自分と逆になろうとしていたのかと思います。

 

スポーツはこのころも大好きでボクシングを習ったり、ソフトボールをしたりとずっと続けていました。

おのずと就職先も厨房とかじゃなくてスポーツの現場で働いてみたいと思い、

スポーツジムをメインに就職活動をしていました。

 

また、持ち前の集中力で、国家試験の前の1年は勉強を必死にして見事合格し、管理栄養士を取得。

 

自分がクソだと思った社会人時代

第一志望だったスポーツジムの会社に一度落ちてしまうものの、

どうしても諦められずに再度電話してチャレンジしたところ、最終面接のチャンスをいただき見事合格。

 

ただ、水泳インストラクターとしてなら採用します。とのことで、

目的のためには手段は問わずということで承諾。

 

ここで大学受験のときに諦めてしまった私ですが、諦めないことの大切さをしりました。

 

実際に水泳の研修を受けていくなかで、周りが水泳部出身の中自分はほぼ素人・・・・・

研修中には練習がつらくて泣きまくりました。

 

ただ、持ち前の努力家魂と、悔しさから、毎日仕事のあとに自主練で泳ぎまくって

人に指導するレベルには成長を果たしました。

 

水泳の指導では3歳からおじいちゃん世代の方までレッスンしましたが、

人が泳ぐことへの上達や、人が新しいことを挑戦することに関わり、

人が笑顔になったりするのがとても楽しくて。

この仕事は天職かなと思っていたくらいです。

 

ただ事務職がどうしても苦手で、学生気分が抜け出せていなかった新卒の私。

指導してくださった職場の先輩には何度も怒られまくったし、

先輩や上司をはじめ、バイトやパートのみなさまにはお世話になりまくりました。

 

新しいことにチャレンジしたくなり、海外に飛ぶ

好奇心旺盛な私は、自分の可能性を模索しはじめ、

憧れで海外に行ってみたい!英語話してみたい!という思いから

 

 

2ヶ月間フィリピンのセブへ語学学校へ。

その後カナダのバンクーバーへワーホリに行きました。

 

もともと計画性抜群の私は、仕事をしながら調べに調べあげて語学学校を探し、

バンク―バー先での計画も日本にいながら考えてました。

 

何をするにも計画大事!で石橋をたたいて渡る派の人間なのです。

 

留学やワーホリ先では日本人は日本人同士でつるんで意味がなくなるという情報を事前にゲットした私は、

なるべく日本人とはつるまないようにしようという思いで

セブでの語学学校は韓国資本で韓国人が多い学校を選び、

カナダでは日本人と話すときも英語で話すように心がけました。

 

海外では自分や日本の常識が常識でなくなる瞬間に何百回と出逢い、

その度に自分の成長や価値観の広がりを感じて毎日がワクワクしていました。

 

セブでは日本人や韓国にはないフィリピンの皆様のゆったりとした自由な国民性。

バンクーバーでの多国籍文化での多様な考えや表面上の違いを受け入れる姿勢。

 

また、セブでストリートチルドレンに遭遇したときはかなりの衝撃を覚えました。

なんとかしたいけどちっぽけな自分にはどうもできないあの感覚。

バンクーバーでもホームレスの人は沢山いて、道ばたやカフェでめちゃくちゃ話しかけてきて

お金を求めてきます。

日本では完全にないこの光景や体験。

テレビでは知ってたことが現実に目の前で起きていることほど感情を揺るがすことはないです。

 

 

バンクーバーでは出逢いや繋がりにより、運良くカナダの老舗レストランのシェフアシスタントとして

働くことができ、日本料理が好きな三ツ星?シェフに直接指導してもらったりして、

すばらしい環境で働けていることに感謝感謝。。。

わたしも賄いでスタッフにおにぎりやおいなりさんを作ってあげたりと、とても楽しかった・・・

 

英語環境で働く中でやはりビジネスになるとどうしても語学が必要になり、

勢いやノリじゃだめなんだと痛感することも多々ありました。。英語も日々勉強・・・

 

 

料理もスポーツも成し遂げたあとの達成感がたまらなくすきです。

ここは共通しているんじゃないかなと思いました。

 

帰国後はとにかくジコチュウになりながら走り続けた

 

帰国後は栄養士の現場を知る必要があると、料理の現場でバイトして働きました。

その後1年間スポーツ栄養の会社で就職し、学びながらも会社員という働き方に疑問を持ち続けていた私は

フリーランスという道を夢に掲げて、別で動きつづけました、

 

「夢は世界に羽ばたくスポーツ栄養士」

 

として模索している中で、プロ野球選手の沖縄キャンプに栄養チームとして帯同のお話がきたことを

きっかけに自己中ながらも退職。

 

フリーランスとして現在にいたります。

 

新しい挑戦をする人たちを応援したい

わたしができることは、管理栄養士として、その人のカコイチの自分への挑戦を応援し、自分がもっている知識や経験を提供し、必要とする人にきちんと伝えることです。

新しい挑戦への架け橋になりたい。

一緒に頑張っていきたい!挑戦していきたい皆様。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

ここまで長い長いプロフィール自己紹介を読んでいただきありがとうございます。

 

アスリートの明日と夢(DREAM)を叶える!

アスドリファクトリー代表 佐藤樹里